屋久島合宿

 

この物語は、作者がまだ学生だった頃のお話です。

                                    ますのすけ

              

 とある暑い夏の日、七月二十日に、S大学のチャリンコ部は、合宿で屋久島へ行く事になった。この合宿には、チャリ部に所属していない僕も参加する事になるのだが、なぜかと言うと、その理由は以下による。

 チャリ部に三人友達がいる僕は、その合宿に誘われた。しかし、僕は行くかどうか迷っていた。最近、頭をつるつるの坊主にして一休さんの様になり、恥ずかしさが取れないうえに、僕は人見知りが激しいのだ。全く知らないチャリ部員とは、旅行がしたくないのだ。

 行くか行くまいかの心の葛藤は、旅行の出発の日の前日まで続いた。

 だが、気がつくと、僕はせっせと荷物をかばんに詰め込んでいた。旅行好きの僕の心が、

人見知りの激しい僕に勝った瞬間であった。

 その夜は、楽しさと不安な気持ちがいりまじったまま、眠りについた。

 翌日の夕方、僕は気合を入れて頭に帽子をかぶり、集合場所の熊本駅へと、自転車に荷物をくくりつけて向かった。S大学から一番近い大きな駅が熊本駅であり、皆熊本に住んでいるから集合場所が熊本駅になったのであろう。予定では、五時に家を出れば十分間に合う。しかし、まだ行きたくないという気持ちがあったのか、どたばたして出発の時間が遅れ、必死に自転車を飛ばすも、あまり時間の余裕がなく熊本駅に到着した。

 熊本駅について、始めに思ったことは、急ぎすぎて家のドアを鍵もかけずに、開けたまま来てしまったのではないかということだった。家を出たときの記憶が非常に曖昧になっていた。

 結局、自分はドアをちゃんと閉めていて、鍵をかけていたのだが……。

 自分のアパートの、ドアの鍵が開いているか締まっているか分からない、どっちつかずの非常に不安な気持ちが、旅行中ぬぐえなくて非常に気持ちがわるかったことは言うまでもない。

 今頃、家がドロボーに荒らされているのではないか……ああ、僕の貯金通帳が心配だ。

いや、隣人の誰かが気がついてきっと大家さんに言ってくれている。まてよ……几帳面なA型の僕のことだ、ちゃんと鍵を締めているであろう。

 不安な気持ちになり、くよくよしてはいられない。僕は旅行にいくのだ。ほんのかすかな記憶の、鍵をかけたであろう自分を信じるしかなかった。

 さて、駅前に着いた所で、皆と合流である。しかし、それらしき人影はない。もう時間もないので、自転車を自転車専用のバックに、分解して詰めることにした。だが、あろうことかこの詰める作業は今回が初めてだった。あたふたあたふたし、駅前で途方にくれてしまった。簡単に詰める事が出来るであろうと思っていて、事前に確認をしなかった自分に今更反省しても遅かった。そしてフラフラと駅前の路道に出たとき、むこうからでかいバックを抱えた一団がやってくるではないか。

 しかし、先頭には見慣れぬイケメン風の男が……。

 僕は思わずあとずさってしまった。そして、気がつけば自転車をバックに詰める作業をしていた所にもどっていた。

 だが、運のいいことに、道に飛び出た僕を見つけた友人のうち、二人が来てくれた。そして、作業を手伝ってくれたのである。

 そんな事から、一行と僕は無事に合流する事ができた。その後、切符売り場で全員が切符を買った後、駅前のホームへとすすんだ。僕は、メンバーの半分が初対面である事の恥ずかしさからか、一向と少し離れてホームに立つ。でかい荷物を抱えている乗客は他には見当たらず、一向はやたらと目立つ。

 あらかじめ、友人三人には僕も合宿に合流するかもしれないと言ってあり、来ても驚きはしなかったが、初対面のあとの三人の自転部員は、初対面の僕のような人間が合流するとは知らされていないようで、その三人と僕の間には気まずい空気が流れていた。その三人を詳しく説明すると、高校生のような目のキラキラした角刈り風の少し茶髪の人、背は百七十センチと僕と同じくらいの身長の人と、色白の眼鏡をかけた僕より三センチほど背の高い茶髪男、背は僕ぐらいでイケメン風の少しロン毛の黒髪男である。この三人は、のちに部長の八束君と三年生の前田くんと一年生の後藤くんと解る。やはり初対面だからか、さっきからこちらをちらちら見て気にしていた。

 自転車部は、他に三年生一人と二年生二人と、一年生二人がいる。と聞いている。だが、

来ていないようだ。初対面の人数が少ないほうが、僕にとっては馴染める。あと五人来ていたらどうなっていたことやら。

 僕はというと三年で他の友人の三人の自転車部員も、三年である。三人とも同じ学科である。そのうちの一人は、伊藤君といって、鼻の大きい武人ふうの男である。背は僕より少し小さめで、普段は紳士だが、酔っ払うと、少しいやらしくなる。女の子への観察眼が鋭さを増すのである。例えば道端で女性を見ると、

「おっ今の女の子かわいいねえ」

 という風に、普段はしない発言をするのである。黒髪ですっきりした短髪である。

 もう一人は片上君といって、自転車部の副部長さんである。面倒見のよい性格で、部長よりかはしっかりしていると、この旅行記を読み進めるとそのうちわかる。喋っていると、時々、彼の目が細いことに気がつく。しかし、僕のイメージでは彼は細目の人ではないのである。背は僕より四センチくらい高く、細身である。黒髪で、耳元までの長さでカットした髪型をしている。真面目そうに見える。

 最後の一人は池増君といい、つかみ所のないやつである。弱気な一面を見せながら、いきなり強気になる。テンションがあがるとほとんどは、つまらないギャグを連発する。そのテンションに誰もついていけないのが、現状である。背は僕と同じである。よく友達が池増君に向かって、えらが張っている顔だとねと言っているのを目にする。チョナンカンに似ているとかも言われている。そんなことを言ったら、彼が傷つくと思うのだが……。

髪型は適当な髪型……学校で見ると、時々寝癖がついたりしている。黒髪で、耳元までの長さの髪形である。

 体格は、片上君を除き全員が中肉中背である。

 僕はというと、おっちょこちょいな性格でうっかりしたことをしがちである。この四人の中では一番ベラベラと喋る方だが、積極性に欠けていて、人見知りのはげしい人間である。こう書いてみると、一番自分がどうしようもない様に思えてくる。背は百七十一センチで、やはり中肉中背である。僕はつるつるの坊主頭である。眉毛が濃いので一休さんの様になっている。皆にもこの髪型を勧めているが、誰もやろうとしない……。当たり前か。

 この僕と伊藤君と片上君と池増君の四人は、いつも一緒の仲良しグループなのだが、全員とも眼鏡をかけている。

 伊藤君は時々外すが、他の三人は寝るとき意外、外さない。ときどき誰かが、みんな眼鏡だということに気づく。いらないことである。初体面の三人はというと、前田君のみ眼鏡をかけている。

 さて、人物の紹介はこれくらいにして、ホームに電車が来た。特急の鹿児島行きである。それに、一向は乗り込んだ。僕は、少し離れて乗った。そして、電車は夜の西鹿児島駅へ向かった。

 その間、フラフラと僕の座席に近づいてきたイケマス君と、他愛もない話をした。ついでに初対面の他の三人の話も聞いておいた。三人のうち二人は、伊藤君とイケマス君と同じ下宿に住んでいる、部長の八束くんと一年生の後藤君だと分かった。

 西鹿児島駅に着いたときは、夜の九時半ごろになっており、人影もまばらだった。ホームに着いて、一行はひとまず外に出た。

 外は駅前だというのにやけに暗い。回りにビルは多いのだが、駅前の外灯が少ないのだ。

 ふと、後ろを振り返ると、駅の横のスペースで十人程の女性達がダンスをしている。僕達は、少しの時間、そのダンスに魅了されていた。

 さて、一向は駅前で袋に分解して入れていた自転車の組み立てを行った。しかし、これからはどこに向かうのだろうか。ここでふと気がついたことだが、僕は、この合宿の予定を全く知らないのである。片上君に予定を聞いてみると、ひとまず朝まで過ごして、朝一番のフェリーで屋久島に向かうという。

 片上君と話をしていた時、一年生のイケメン風の後藤君が、ギアの不調を訴えていた。後藤君の自転車は、GTというメーカーの自転車で、僕の自転車より高級である。ギアも僕のよりかはだいぶよさそうだ。後藤君の自転車の面倒を、イケマス君と片上君が見ている。その周りで、部長はチャリンコの技を、後の二人と競っている。

 僕のチャリンコは、ここにある七台のうちで、下から二番目に安い。思えば去年の夏、山奥で行った森林伐採現場の竹運びと、公園の草むしりのアルバイトを、炎天下の下、フラフラになりながらガッツでやって買ったのだった。メーカーはプジョーである。フランスのメーカーなので、高級そうだが、プジョーの中でも値段の安い物しか買えなかったのである。

 がんばって貯めた七万をはたいて買ったのだった。七万をだしても、まだまだマウンテンバイクの普通のランクにはとどかない。七人のうちで一番自転車にお金をつぎこんでいる人は、二十万を超えている○束君らしい。だが、ぼくはこれで満足していた。

 十二時ごろを過ぎて、後藤君の自転車の調子がやっとよくなった。さて、これからどうやって朝まで過ごすかだ。すると、誰かが漫画喫茶で朝まで過ごそうといった。この近くに漫画喫茶があるらしい。さっそく片上君らが偵察にでかけ、ほどなくして帰ってきた。

 彼の話だと、二十四時間やっているらしいが、柄の悪い連中が多くいてだめだという。一体どんなまんが喫茶なのだ。しょうがなくフェリー乗り場の近くで夜を明かすことになった。

 そうして、一行はフェリー乗り場へと出発した。フェリー乗り場までは、自転車で二十五分くらいの近い距離である。先頭は、何回か鹿児島市街に来たことのある、鹿児島県民のイケマスくんである。僕は一番後ろからついていった。

 街に出ると、夜遅くだというのに人が結構ふらついている。商店街に近づくほどその傾向は強くなっていった。飲み屋の帰りの人たちかと思ったがそうでもない。雰囲気からして、祭りの後のようだった。

 そして、ビルが立ち並ぶ街の中央道を進み、ふと見わたすと、だんだん柄の悪そうな人が道の両脇に増えていることに気がついた。皆酔っているようで、悪い予感がした。

 すると、商店街付近の道を一列で進んでいた一行の列が急にスピードを上げた。誰か前の人が酔っ払いにからまれそうになったらしい。

 ここではぐれてはいかんと思い、追いつこうと思ったが、人の波にもまれて少し遅れてしまった。すると、近くの壁にもたれかかっていた怪しいおじさんが、

「あんちゃーん、自転車楽しいかいっ?」

 と声をかけてきた。

「たのしいかいっ?」って……。

 僕は怖くなってその場から一目散に立ち去り、けんめいにこいで前の列、後藤君の後ろに追いついた。商店街のアーケード通りのつなぎ目の道路で赤信号になり、止まったみんなを見てみると、どことなく、びくびくしている。そんな中でも、一番先頭のイケマスくんは、一番びくびくしているように思えた。頼りなかったが彼についていくほかない。

 その後一キロ程進んだであろうか、やがて商店街を抜け、人もまばらになり、現在地を確認するため、手前に見える鹿児島で一番大きいであろう公園で少し休むことになった。

 そこでまず目に付いたのが、なにか暴動でも起きた後のような光景だった。公園の横には、警察の護送車のような長いバスが二台止まっていて、パトカーも何台か止まっていた。

 つい、さっきまで酔っ払いの暴言に脅えていた一行は、益々、すくんでしまった。周りの道にはゴミ屑やら缶やらが点在している。まるで、相当規模の大きな暴走族の取締りをしたかの様だった。というか、祭りの最中か後にでもしたのだろう。

「鹿児島って、こんなに治安の悪いとこなんけ?」

 僕の問いに、イケマス君は答えられず、多少の沈黙を守った後、

「そうみたいだね」

 と答えた。鹿児島のとある夜の一面を見て、イケマス君は動揺を隠せないみたいだった。

 こうして僕たち一行には、いつもは平和なのだろうが、この何時間の出来事で、治安の悪い街鹿児島というイメージが刷り込まれてしまったのである。

 一行は公園の周りにいる柄の悪いあんちゃんを気にしながら、公園のトイレに立ち寄り休憩をした。何か問題が起こる前に、ここを立ち去ることにしようと、一行は、そそくさとその場を立ち去り、フェリー乗り場へと向かった。向かっている途中でも、酔っ払ったおじさんが、ぐでぐでになり、横たわりながら僕達に訳の判らないことをわめいていた。

 さて、公園から十分くらい自転車をこいで、やっと鹿児島港についた。ひとまず、隣にある公園で夜を明かすことにした。ベンチにおのおのが座り、近くのコンビ二で買ってきた食べ物を食べた。

 気がついてみると、まだ初対面の三人とは一言も喋っておらず、打ち解けてはいなかった。ピリピリと、お互い警戒した空気が辺りを包む。まあ、焦っても仕方がない。何かきっかけを作って、なるべくこちらから話しかけよう。というつもりでいた……。

 ああ、これから先どうなるのだろう。

 時計を見てみると、フェリーに乗る時間まであと七時間ある。乗る時間は大体、朝の9時ごろである。

 皆、薄暗い公園のベンチで眠りに入っているが、僕は眠れなかった。同じように眠れない伊藤君とイケマス君と、朝の三時まで喋って、それから出発まで鹿児島の散歩に行くことにした。

 ひとまず、海辺の街に沿って自転車をこぐことにした。鹿児島の西方面へとあてもなく自転車をこぐ。

 鹿児島港の近くにある、巨大なイベント会場を抜けると、漁業関係の倉庫が沢山建ち並んでいる。

 建ち並ぶ倉庫を過ぎると、ファミリーレストランやらハンバーガー店があり明々と灯りが燈っていた。不況でつぶれる店が多々あるなかで、二十四時間営業をする事が当たり前のようになってきた今日。二十四時間営業のおかげで、こんな深夜散歩では寂しくなくて心強い。

 長い橋を渡り、左手の奥に海を眺めながら、杉の木が沢山ある道を行くと、遊園地の入り口についた。ここには、イケマス君は前に家族で一度遊びに来たことがあり、近くのホテルに泊まったそうだ。なるほど、回りはホテルでいっぱいだ。彼は遊園地を見て懐かしそうにしていた。

 深夜の遊園地は、独特の雰囲気がある。当然、中には入れないので入り口をうろつく。

 この遊園地の入り口で、一番驚いたのが、憶測だが、身長十五メートルはあろうかという、小学生の巨大少年である。ガンダムにも匹敵するその身長に、ここを訪れる人々は、驚きを隠せないだろう。しかも、首から下は地面に埋まり、唯一地面から覗いている顔は、あんぐり口をあけているのだ。苦痛の表情には見えなかったが、明らかに巨大少年に対する拷問である。

 地面に出ている部分の顔と両手の指(というか、顔と指しか作ってないのだろう)の顔は、三メートル近くあり、かなり、リアルだった。地面のレンガを貫いた両手の指は、何かをつかもうとしているのか、三十五度くらいの角度で曲がっていた。地面のブロックベイは派手に持ち上がっている。

 この少年が遊園地の外から地面を潜って来て、遊園地の門をくぐり、遊園地のゲート前の地面のレンガをぶち破って地上に出てきたという設定なのだろう。凄いところにお金をかけるものだと感心した。

 僕たちは、この像をなでまわし、ひたすら感心に耽るしかなかった。隣にある、夏ならではの、涼しそうな北極をイメージした氷の部屋のアトラクションの存在に、後で気がつくほどその少年のインパクトは強かったのである。

 そして、僕たちはその遊園地を後にした。これ以上、遠くに行くと帰れなくなるので、来るときとは違う海沿いを通って帰ることにした。海辺はコンクリートで固められており。釣堀みたいな池が、海と隔てて永遠と続いていた。もう夜も明けようとしており、うっすらと空が明るい。

 今まで暗くて、気づかなかったのだが、この海の向こう側には、とても巨大な桜島が見えていた。夜明けの明るさでいきなり桜島が現れたので、その大きさに圧倒された。あの遊園地の少年を見た衝撃よりも、それは大きかった。

「そうか、鹿児島市の目の前には、桜島があったんだっけ。」

 これだけ存在感のある山はそうはないだろう。初めて富士山を見たときのような気持ちになっていた。しばらく、その場で三人は桜島に見入っていた。

 皆のいる公園についたとき、もう朝になっていた。皆は、ぼちぼち起き始めていた。まだ少し出発まで時間があるので、僕は自転車の技の練習をしていた。片上君と部長のように、かなり出来るわけではないが、少しだけ、ダニエルというピョンピョンする技が出来るようになっていたので、前輪を持ち上げて飛び跳ねていた。それを見た後藤君は、少し感心したようだった。そういった眼差しで見られるのも悪くはない。

 朝になり周りが明るくなった事で、フェリーの出発の時間まで、皆、それぞれの時間を過ごす。片上君と前田君は、フェリーを見たり港を探索したりしていて、前田君の方は港の写真を撮りまくっている

 さて、やっとフェリーに乗る時間が来た。

 皆でフェリー乗り場の受付に行く。港には既にフェリーが停まっていて、いよいよ合宿という雰囲気になってきた。そして一行は屋久島までのフェリーの料金を見た。

「あれ……?」

 事前に三千円くらいだと予想していた通りに、古い料金表の屋久島までの片道の料金はそれくらいだった。しかし最近、値上げしたらしく、その隣にある新しい料金表の料金は、五千円ぐらいの値段に変わっていた。うう、これは痛い。屋久島は思ったよりも、遠かったのである。

 この騒ぎで、一行はパニック状態に陥った。

不安になった後藤君が、僕に話しかけてきた。僕はフェリーにはめったに乗らないので、旅のトラブルのアドバイスにならない様なアドバイスしか出来なかったが、アドバイスを二つ三つし、あとは流れに身を任せるのだ。と後藤君を説得し、覚悟を決めさせて、お金を払うことにした。後藤君とは、この一軒で打ち解けたのである。皆も覚悟を決めたようだ。お金を払い、一行は自転車をフェリーの貨物室に入れにいく。運賃が値上げした事だろうか、皆文句をぶつぶつ言っている。

 この出来事が、僕のケチケチ精神に火をつけたのである。そして僕は、この先、切り詰めた生活をしていくようになる。

 橋を渡り、フェリーの中の貨物室に自転車を置く。車も入るので、端っこの方に重なる様にして置くのだが、気をつけないと自転車が傷ついてしまうので、慎重に置いた。その後、貨物室の端にある階段を登り、フェリーの甲板に出る。すぐ近くに見える桜島が綺麗だ。そして、船内に入り、クーラーの効いたソファーのある部屋に席取をしてから、フェリーを回ってみる。フェリーの中は、団体旅行の小学生でいっぱいで、お座敷の部屋はすべて小学生が占めていた。

 いよいよ、フェリーが動くのである。皆で甲板に出る。目の前の船の先端では、船の船員がロープを引っ張り、その向こうでは、別の船員が機械を動かしている。

 船はゆっくりと動き出した。そして鹿児島市が遠ざかっていく。船が動き出すと、風が出てきて気持ちよかった。皆、微笑んでいる。

 僕は、近くにいるイケマス君と後藤君に、

「船の先端でタイタニックやってきなよ」

 と冗談を言い甲板をあとにした。

 船内のアナウンスでは、屋久島に着くには、これから四時間ぐらいかかると言っていた。

 その後、クーラーの効いた部屋に戻ったが、そこからでは景色が見づらかった為、暇なので景色でも見ようと、よく見えるところを捜しに行く。船の側面に出たら景色が良く見えた。通路にある長い木の箱のベンチの様な物に腰掛けて景色を見た。

 桜島が遠ざかって行くと、長い大隅半島が続いている。その先には小さな島がちょこんとあり、その先は海が続いていて靄で見えない。まだ先は長いので、一眠りすることにした。

 三時間は木の箱の上で眠っただろうか、気がつくと周りは海で、船の後方、遠くに大隅半島が見える。やっと屋久島の近くの種子島が見えてきた。本当なら、種子島にも行くつもりだったのだが、フェリー代のことを考えると行けそうもない。

 クーラーの効いた部屋に戻ると、皆はまだ寝ている。種子島が見えた事だし、そろそろ近づきつつある屋久島を見るべく甲板に出た。屋久島はもう、船の前方にその姿を現していた。

「これが屋久島かぁ!」

 目の前にあるのは、想像していたより険しい島だった。平べったく、山の一つもない種子島に比べ、屋久島は、島自体が一つの山の様である。一番高い宮之浦岳は、標高が千九百三十五メートルもある。島の中央の、町と港は、ほとんどない平地に作ってあるのだ。

 屋久島の形は、海から富士山の頭だけ突き出た感じだ。島の右端に特徴のある小さな山が二つあり、おっぱいの様な形をしていた。そのため、僕は近くにいた伊藤君と、

「おっぱい山だ!」「おっぱい山だ!」

 と騒いだ。幸い、近くに人がいなかったか

ら良かったが、人がいたら恥ずかしい思いをした事だろう。

 やがて、屋久島もずいぶん近づき目の前まで迫ってきていた。前方は一面島である。部屋に戻ると皆は起き荷物をまとめている。僕も荷物をまとめ甲板に出る。もう甲板は人だらけで接近した屋久島を見るゆとりもない。子供らは走り回り興奮している。もうすぐ到着なのだ。

 待ちに待った屋久島到着の瞬間。港とフェリーが橋でつながった。人の波が押し寄せる甲板の出入り口とは別に、僕たちは下の階の駐車場に自転車を取りに行く。

 駐車場では、いろんな人が車やバイクや自転車でフェリーから出るのを待っている。僕たち七人の他に、自転車で来ている人は二人いた。二人とも一人旅のようで、学生らしかった。一人は道路専用のロードという自転車で、見た感じ屋久島にトレーニングに来ているみたいだ。短い髪型が似合っていてかっこいい。もう一人は荷物をマウンテンバイクに積んでいて、僕たちと同じキャンプをしにきたのだろう。髪が長く、後ろ髪をゴムでとめていて、どことなくおたくな感じをかもし出している。そのほかにバイクで来ている人が二人いた。二人とも女性で、中型バイクにまたがっていてかっこ良かった。

 ついに駐車場の前方の扉が開く時が来た。扉が開くと、まず車から出て行く。次にバイクと自転車だ。がたがたした鉄の橋の下り通路を抜けると、港に出た。太陽がまぶしい。九州よりも日差しが強そうだ。山のほうを向くと、緑が鮮やかだ。ついた港は宮之浦港で、結構、港は大きい。

 子供達の長い列を追い抜き、港を僕たちは一列で出た。港を出ると、近くにはお土産センターもあり、宮之浦の街のほうを見ると、結構いろんなお店がありそうだ。その時は解らなかったが、ここ周辺は宮之浦といって、屋久島で一番大きな街であり、なんでも揃っている。しかし、僕たちが今から向かうのは、それとは反対の方向。屋久島の北側の端、一湊の八筈キャンプ場である。大体、距離で八キロくらいの近い距離だ。

 そこに向かい、僕たちは自転車をこぎ始めた。先頭は部長の八束氏である。しかし、自転車をこいでから少しもたたずに僕は止まった。あらかじめ片上君には、

「僕は個人旅行だから、マイペースで行くよ。遅れても先にいっておくれ。地図は持っているから大丈夫だよ」

 と自転車部ではないことを利用して、自分勝手なことを言っておいてある。

 時刻は午後の一時、昼時ということもあり、さらに屋久島の日差しは強く、暑いのである。もうペットボトルの五百ミリリットルの水を、半分まで飲んでしまった。汗がだらだらと落ち、眼鏡につく。なので、それを防ぐために頭にタオルを巻き、また自転車をこぎ出す。もう前の一行の列は見えない。

 しかしこの屋久島は起伏が激しい。坂を上り、次は下り次はまた坂と、平地の道路がまったくないではないか。これは八キロとはいえ苦しい。おまけにこの暑さ。干からびてしまう。自販機は転々としていて、ジュースを買い逃したら次はいつ買えるかまったく判らない。街から少し行くだけで、周りにめったに建物はないし、ましては水の飲める公園もない。そう、ここは島なのである。水が切れたら、そこでおしまいなのである。これはとても人力の旅では苦しいことだった。車で旅行したらどんなに快適だろうか……いかん、いかん、そんなことを考えてはだめだ。

 ペダルをこぎ出して少しいくと、片上君と前田君が自販機の前で休んでいた。片上君に聞くと、前田君の具合が悪いから、ゆっくり進むことにしたらしい。そして先に行ってくれという。僕は前田君に、

「大丈夫かい」

 と声をかけた。しかし、前田君は遅れがちな僕に、

「無理するなよ」

 と僕は逆に心配されてしまった。まあ、彼は大丈夫そうだ。

 二人をおいて少し行くと、みんなが待っていた。どうやら僕を待っていてくれたらしい。皆に聞くと、後ろの二人のことは知っているようだ。

 そして、一行は再び進んだ。長い坂を下り、コンクリートで両脇の崖を固められた道を抜けると、右にはどこまでも続いているような青い海、遠くにはフェリーから見たおっぱい山。そして、屋久島の周りの島であろう小さな竹島や硫黄島がはっきりと見えた。そしてまた、海沿いに道を下ると、小さな漁村が点々としている志戸子というところに出た。ここにはビーチとかがないので、一行は立ち寄らず先に進む。ここら辺では、車はほとんど走ってはいない。たまにすれ違うくらいだ。

 僕は体力には自身があったが、水分不足のため少し頭痛がしていた。しかしもう自販機もだいぶ過ぎてしまったし、先に進むしかない。小さな山をもうひと越えすると、右手方向に、おっぱい山が島からつきでて海上にそびえる一湊に出た。そして、目の前には海水浴場、遠くには一湊の町が見える。キャンプ場は、海水浴場の右のあのおっぱい山の中腹らしい。山といっても、このおっぱい山は百三十メートルしかない。

 海水浴場では、二十人くらいの人が泳いでいる。おっぱい山をはさんで、その向かい側の海では七人くらいの人がスキューバダイビングをしようとしている。賑やかである。

 そして、一行はおっぱい山を登る。最初はこいでいたが、そのうち僕は降りて自転車を押した。皆は先に行ってしまった。たいした山じゃないと思っていたが、けっこう起伏が激しい。なぜ海水浴場の隣じゃないのだと、一人文句を言う。山の中腹から見える、崖の下の小さな浜では、プラスチックのゴミが沢山打ち上げられていた。ゴミをポイ捨てする人が減る為に、小学生の時からゴミ教育をすべき必要性を感じた。

 おっぱい山について、あとでガイドブックを見て調べた所、やはり矢筈岳というちゃんとした名前がついていた。ふたこぶラクダの様だと表現されている……。それよりも、やはりよく似ているおっぱいに例え名前を付ける訳にはいかなかったのだろう。

 やっと山と山の間にある矢筈キャンプ場に着いた。屋久島の最北端の矢筈岬にある、海辺と林のキャンプ場である。周辺には一湊海水浴場、矢筈公園などレジャー施設が完備されている。一応キャンプ場には、炊事場がある。蛇口が十二個くらい付いており、長い机が二つ、飯炊き場も四つ付いている。だがなぜかいろんなものがぶら下がっている。竈は毎日使っているように見える。その横には薪の山がある。水道の周りにはスポンジやらなべやら置かれており、ほかの客のものには見えない。まるで誰かの家のようだ。

 キャンプ場は三十坪ぐらいの大きさで、北と南に道がキャンプ場を貫き走っており、小さな岩がごろごろしている。キャンプ場を貫く道をもっと行くと、灯台があるらしい。キャンプ場の東と西は坂になっていて、背の低い木で覆われているので、遠くまで海が見える。東の坂からは、種子島がみえる。西の坂には、下る道があり、その先に鳥居が見える。東も西も急な斜面だ。海辺の断崖絶壁の鳥居は、どこか風情がありロマンチックだ。キャンプ場の北と南は、山で覆われている。ほかにキャンプ客は三、四人いて、三張テントが張られていた。

 僕はまだ頭痛が治まらないどころか、ガンガンと頭が痛くなってきた。水道で、がぼがぼ水を飲むしかない。そしてテントを張り、中で少し休むことにした。今の時刻は午後三時ぐらいである。今日は、移動だけで終わりそうだ。

 十分程休んで炊事場に行くと、前田君が到着していた。普通じゃない位に顔と全身が赤くなっていて、すごく苦しがっている。ただでさえ色白の前田君が赤くなると、見ていて尋常ではないと分かる。僕はびっくりして、回りのみんなに話しを聞くと、彼は平然としていて、誰も気づかなかったが、風邪を引いていた体で無理して旅行にきたという。前田君のこの症状は、どう見ても熱中症である。どうしようと慌てふためく僕だったが、もう救急車を呼んだらしい。前田君の首を水で冷やしたりさせようとしたが、本人が元気のない声で、

「いいよ」

 と拒む。じっとしていたいようだ。

 やがて救急車が来た。前田君を車に乗せるのに、僕は肩を組んで乗せた。前田君の体は熱を帯びていた。前田君を乗せると、救急車の人が

「責任者はだれだ?」

 と言ってきた。しかし、部長と副部長の二人は先に病院にいってしまったらしく、かわりに伊藤君が名乗り出て、救急車の人に、

「無理をさせないように!」

 と注意を受けた。

 そして、救急車はけたたましいサイレンとともに去っていった。そのあと、ぼくたち四人はしばらく呆然としていた。あとは病院に行った二人が帰ってくるのを待つしかない。

 僕たちの旅行は、大変なことになってしまったのである。

 二人が帰ってくるまでに、夕飯のカレーを作ることにした。しかし、僕は個人旅行ということで、近くの小さな店で薩摩揚げと、ご飯を買って置いたので、それで済ませるつもりだ。だけど、薩摩揚げだけだと寂しいので、カレーが残ったら食べてもいいと許しを得た。ついでに暇なのでカレー作りは手伝うことにしよう。カレーを作る皆の手つきが危なっかしい。この中で、自炊歴が一年以上なのは僕だけなのだ。ジャガイモの皮むきから、ほとんどやってしまった。

 いまだに頭が痛く、二人が帰るまでテントで横になろう。そうしてぼくは横になった。

 夜七時くらいになって、二人が帰ってきた。二人の話だと、前田君は大丈夫そうだ。僕たちはほっとした。

 皆は炊事場でカレーを食べている。僕は頭痛がするので皆と一緒に食べることは断った。僕はテントで横になりながら、回りの様子に聞き耳を立てていた。すると、聞きなれないオヤジの声と一人の若者の声が聞こえてきた。

 聞いていると、二人はここに住み着いているらしい。どうりで炊事場がどこかの家の台所みたいになっていたわけだ。オヤジのほうは、かなり長く住み着いているらしい。炊事場の奥の山に寝床があると言うのだ。いやはやすごい話だ。若者のほうは、車で来ていて仕事を休んでここに住み着いていると言っている。なにやら賑やかな話は、ずいぶんと続いた。

 やがて食事も終わり、僕も頭痛が前よりかは収まったので、炊事場に行ってみることにした。炊事場には、もう皆はほとんどいなくなっていて、唯一片上君とここに住み着いている二人がいた。二人のうち若い方が話しかけてきた。

「どこから来たのですか。」

 定番の会話だ。

「熊本からです。さっきまでいた集団と一緒に旅行をしています」

 そのあと、若い人は屋久島の名所について熱く語ってくれた。

「平内海中温泉は、満ち潮の時行っちゃうと、海の水が入ってきちゃって温泉だか海だかわかんないですよ」等々話してくれた。

 僕はまだ行ってないので、ただうなずくしかなかった。やがて話も尽きて、もう一人のおじさんに挨拶をして僕はその場所を去った。どうやら変わっているけど、悪い人じゃなさそうだ。

 暗くなったキャンプ場に着くと、なにやら動物がいて僕はおもわず後ずさりしてしまった。

「鹿だ! 野生の鹿がいる」

 野生の鹿を見るのは、それが初めてだった。テレビで見るより鹿の角の迫力が凄くて、怖くて近づけなかった。すらりと伸びたその足、あまりにもスマートで息を呑んだ。屋久島の鹿はヤク鹿といって、ニホンジカに比べ一回り小さく、角も半分の長さしかないという事だが、大きく見えた。その鹿に見とれていると、もう一匹小さな鹿が林から出てきた。周りの人々の話を聞くと、どうやら二匹は親子らしい。母鹿と小鹿だ。僕たちは、二匹を刺激しないようにして観察をする。二匹はキャンプ場の草を食べている。どうりで動物のしたような丸いコロコロした糞が転がっていたわけだ。皆が鹿に見とれていると、炊事場に住んでいるおじさんが出てきた。そして、「テントを鹿の通り道に張ってっとな、テントが鹿にもってかれっと」

 と恐ろしいことを言い残して帰っていった。そのことを聞いた僕たちは、さっそくテントを見に行った。案の定、僕のテントは獣道らしき道の真上にあった。危ない、危ない、このまま寝ていたら鹿の角にテントごとぼくは串刺しになっていたろう……。眠ったままあの世行きだった。しかし、おじさんの忠告がなかったら、串刺しとはいかないまでも怪我をしていたことだろう。さすが原住民はちがう。

 そしてその日、僕たちは眠りについた。夜トイレに行くとき、ふと空を見上げると空一面星だらけだった。都会と違って星がとてもきれいだ。天の川が本当に星の川になっていた。ロマンチックな外とは違い、テントの中は、蒸し蒸ししていて地獄だった。さらに背中をわけの判らないダニに食われ、背中はぶつぶつだらけになっていた。苦しくて、眠っているのか起きているのか解らないまま朝日が昇った。

 今日は、午前中は皆で前田君のお見舞いに行き、午後は泳ぐそうだ。朝食を軽くとって皆で出かける。しかし、僕はのんびりしていたため皆においてかれてしまった。しょうがないので、一人でキャンプ場の付近、一湊の探索に出かけた。この町には、一応駐在所や消防分団、郵便局や食堂などがあって、暮らすのには困らなそうだ。

 さっそくキャンプ場を降りて、海水浴場をぐるりと回り、橋を渡り内陸の町に入った。町の入り口には漁協がある。漁協を左に曲がると、この町のメインストリートらしき道に出た。人は誰もいない。小さな病院があったが、閉まっている。近くに駄菓子屋のようなスーパーがあったので、そこで昼飯を買った。この駄菓子屋では、一湊にいた間、よく食べ物を買ったのだった。たいして道幅の広くないメインストリートを抜けると、幹がくねくねと曲がりくねっている、南国特有の木があった。ガジュマルの木というのだろうか。その木の根元のベンチに老人がいて、なんとも言えない平和な雰囲気をかもし出していた。そこを少し左に行くと小学校があった。後ろはすぐ山、前は海という最高のロケーションの小学校だ。

「ああ、わしもこんな所で育ちたかったのう

 と自分の過去を後悔しつつ校庭に入る。夏休みだからだろうか、誰もいない。遊具コーナーで少しのんびりすることにした。しかし暑いので大木の下に入る。学校の気の木陰は、気持ちが安らぐ気分にさせてくれる。校舎をぼんやりと眺めているうちに、一時間が経っただろうか。片上君に今どこだいというメールを携帯電話で送ったら、そろそろ帰ってくるという返事が届いた。よし、海水浴だ!海水浴場で皆と会う事を連絡して、ぼくは自転車をこいだ。

 海水浴場に着くと、もう皆は着いていて、自転車が芝生の中に停めてあった。僕も真似をして芝生の中に自転車を持っていったら、海の家の屋上にいる、監視員のようなおやじが、拡声器を持ち大声でこっちを怒鳴りつけた。すごい興奮の仕方で何を言っているのか判らない。目の前には観光客だろう、若い男女四十人位の人がいて、一斉にこっちを見つめている。こうなると、蛇に睨まれた蛙状態である。すごすごと海水浴場を出るしかなかった。去り際に、女子高生らしき観光客の、

「何言ってるのかぜんぜん判んないよねー」

 という声が聞こえた。全くそのとうりであ

る。あの監視員の聞き取れない激しい注意の

せいで、いやな気分になってしまった。もう

絶対ここでは泳ぐもんかと、沢山の女性達や

家族連れがいる、この海水浴場をあとにして、

その海水浴場の一部の岩場の先、一湊の港の

方の誰もいない海水浴場に行くことにした。

 あとで友達から聞いた話だと、監視員は、

芝の上には駐車するなということを言ってい

たらしい。でもあんなにどならなくてもいい

じゃないかと思う。まるで見せしめのさらし

首にあったようだった。いやあ、この出来事

では大恥をかかされたのだった。

 港の方の海水浴場に着くと、一応人がいた。

四人の人が砂風呂に入っていた。しかし誰も

泳いでいない。なぜだろうと横を見ると看板

があった。

「さめに注意!」

 と書いてある。

 どうりで皆向こうに行きたがるわけだ。し

かし僕はあとには引けなかった。海水浴場脇

の橋の下で着替えると、バンダナをかぶり泳

ぐ準備をした。そして、ゆうに二百メートル

はある砂浜を一人で泳ぐ。爽快な気分に浸れ

るだろうと思って泳いだら寂しかった。さめ

を恐れた引けた腰でびちゃびちゃと行水をす

る。砂風呂の人たちの目線が妙に気になる。

いたたまれなくなり、少し泳ぐと、向こうの

浜につながっているであろう岩場の磯べで遊

ぶことにした。

 あらかじめ持参していたシュノーケルをつ

けて泳ぐと、小魚がたくさんいて、その中に

水族館にいるような黄色と白の縞模様の魚も

いた。色とりどりの魚に見とれて夢中になっ

て泳いでいると、サメのことも忘れてしまう

くらいだ。やはり、一人では怖いので、皆を

こっちに呼ぶことにした。電話をいれ、少し

すると、八束君以外の全員が来た。橋の下で

着替えさせ、皆で海に入る。僕以外の皆はサ

メに注意という看板の事を知らない。まあ、

ここは言わないでおこう。そして泳いでいる

うち、集団心理が働いたのか、皆で向こうの

海水浴場まで泳いでいこうということになっ

た。こうして恐怖の水泳大会が開催されたわ

けだが、開催者は僕なので、自分がが先頭で

行く事になった。海の深さはというと、海中

の岩に乗れば顔が出るくらいの深さだ。しか

し、海中の岩がとげとげしいので気をつけて

進む。やがて浮島のような砂が盛り上がって、

少し砂が海上に出ているところに着いた。少

年やおじさんがいるから安全な所だろう。も

う向かいの賑やかであの監視員がいる砂浜と

は、ほぼつながっている。大岩がごろごろし

ていて、写真に撮ったらいい写真になるだろ

う。ここに着くまではいろんな魚がいて楽し

かった。今来たところを振り返ると、あと半

分というぐらいの所で、皆は、はしゃいでい

る。サメが来ないことを祈りつつ、皆が来る

のを待った。

 やがて全員がここに着き、それから皆でブ

クブクと、意味もなく潜っては浮くを繰り返

していた。ずいぶん遊んだので、そろそろさ

め注意の浜に戻ろうということになった。す

ると、イケマス君がどこから見つけてきたの

か、かなり重そうな大岩を抱えて水中を歩き

始めた。この、素潜り選手のトレーニングの

ような、予想だにしないイケマス君の行動に

皆は触発されたのか、交代でこの大岩を運ん

で戻ることになっていた。僕もチャレンジし

たが、おぼれそうになり皆に笑われたので、

運ぶのをやめてさっさと向かいの浜に戻った。

皆はというと、まだ大岩をリレーしている。

「あんなにはしゃいでいるとサメに狙われる

ぞ。」

 と思ったが、よく思えばそのことをまだ皆

に伝えていなかったことに気がついた。いま

さら言うわけにも行かず、結局最後まで言わ

ないのだった。やがて、無事に皆が着きほっ

とした。恐怖の水泳大会は何事も無く無事終

了したのである。

 午後三時になり、もうキャンプ場に帰る頃

合である。自転車をこぎ、キャンプ場に戻る。

まだ夕食までは時間があるので、イケマス君

と近くの灯台に行くことにした。その灯台は、

キャンプ場の位置する矢筈公園の先にある、

一湊灯台である。

 さっそく、自転車にまたがり灯台に向かっ

た。自転車をこいで二分も経たないうちに、

管理棟が見え車が二十台ほど駐車できるスペ

ースがあった。その先は獣道になっていてま

るでジャングルだった。わけのわからない虫

に脅えびくびくと進むと一気に開けた所にで

た。そこは、畳十二畳ぐらいの広さの展望台

の中央に灯台がにょきっと突き出ていて、周

りは丈の低い樹木しかなく、百八十度景色を

見渡せた。沢山の島が見え、今、自分も島に

いるのだという実感が湧いた。

 振り返ると、おっぱい山が二つ後ろにそび

えている。なんという壮大な景色だろう。こ

こで僕は馬鹿になろうと思い、好きな娘の名

前を叫んでいた。ストレスが発散できてすっ

きりした。しかし一緒にいたイケマス君には

迷惑だったろう。イケマス君はというと写真

を撮るために、灯台のある展望台の手すりの

上に立っていた。手すりの向こうは崖である。

僕が必死になって降りるよう説得すると、彼

はそこから降りた。壮大な景色を目の前にす

ると、人はおおらかになるものである。僕も

何枚か記念に写真を撮ると、灯台から戻るこ

とにした。

 キャンプ場に戻ると八束君がいた。片上君

から聞いたことだが、八束君は泳げないらし

い。なので、今日は海水浴場には行かず、近

くの滝を一人で見に行っていたという。この

八束君が泳げないということが、のちに僕と

八束くんに熱い友情をもたらすとは、今は夢

にも思わなかったのである。

 やっと全員がそろったので、近くの八筈岳

神社に皆で行くことにした。この神社は、キ

ャンプ場の西側の崖の下にあり、本堂は洞窟

の中にあるらしい。崖の下の赤い鳥居は海水

浴場からも見え気になっていたので、行くの

が楽しみである。皆が集まるのを待っている

と、キャンプ場の北側、すぐ脇の山に猿が現

れた。僕らとの距離は十五メートルもない。

すぐそばで僕らを身下ろしている。一匹だけ

である。食べ物が目当てで来たのだろうか。

襲われそうで怖かった。さらに拍車をかける

ように、イケマス君が猿に向けて石を投げよ

うとしていたので、あわてて注意した。そし

て、僕たちと少しの間睨み合った後、猿は去

って行った。何も起こらなかったのでほっと

した。

 皆が集まったので、キャンプ場の脇の階段

を下って神社に向かう。三分ほど下ると、磯

辺に出た。右側は、山がすぐ垂直にそびえて

いる。左側は、黒い岩がごろごろしていて、

その岩の向こうにさっきまで泳いでいた海水

浴場がある。海水浴場の先は、右に向かって、

誰もいないさめの出る浜、小さな港が突き出

ていて、三日月形の湾になっている。少し行

くと、鳥居があり洞窟があった。さっそく洞

窟に入る。冒険っぽくなり、皆が声をあげる。

ひんやりと空気が冷たくて気持ちがいい。洞

窟の中には、六畳ほどの新しいプレハブ小屋

がある。ピカピカの板じきで、サッシを横に

引くと入り口が開いてしまった。それを見て、

ここに泊まりたいなあと思ったのは、僕だけ

じゃなかっただろう。しぶしぶ入り口を閉め

て洞窟の奥に向かう。洞窟の奥行きは全然な

く、入り口から十二メートルぐらいしかない。

洞窟の一番奥に鐘があり、紐がぶら下がって

いる。紐を引いてガラガラと鐘を鳴らした。

洞窟の中で、神社の鐘を鳴らすことが不思議

に思えた。

 やることをやったので洞窟を出る。八束君

がカメラを持ち出したので、僕が撮ることに

した。洞窟の外の磯の岩の上から、鳥居を入

れて洞窟の前に立っている皆を撮ってくれと

いう注文がつき、その通りに二、三枚交代し

ながら撮った。そして坂を上り、キャンプ場

に戻る。

 明日はこのキャンプ場を離れ、いっきに屋

久島の反対側のキャンプ場、青少年旅行村ま

で行くという。距離でいうと二十キロぐらい

だが、なにせ屋久島は平地が全然ない。地図

を見ると、その道のりの両脇には途中から民

家もなくなり、水も補給できなさそうだった。

きつい道のりになることは予想できた。明日

に向けて念入りに準備せねばと思い、水は三

リットル持っていくことにした。

 神社から戻り、種子島の方を望む。遥か向

こうで雨が降っている。しかし雨雲というま

でにはいかない。通り雨だろう。と思って眺

めていたらあっという間にこっちに雨雲が来

た。急いでテントに物を入れる。幸い雨は降

らなかった。大自然を体で感じた気分になっ

てしまった。その日の夕食は、昨日のカレー

に懲りて個別に取るらしい。カレーに、肉じ

ゃなく魚肉ソーセージを入れているのを見て、

とめておけばよかった。魚肉ソーセージのふ

わふわした食感が、カレーとぜんぜん合わな

かったのである。夕食は、適当に駄菓子屋で

買ってきて済ませた。おなかが膨らんで和ん

でいると、またいきなり鹿が現れて、糞をし

て去っていった。鹿が出てきた坂を茂みから

覗くと、七十度ぐらいの傾斜があった。よく

もまあこんな所をぴょこぴょこ下っていける

ものだと感心した。やがて、辺りは暗くなり

、テントの中で横になった。しかし暑苦しく

て眠れない。やっと眠れたかと思うと、少し

経って目が覚め、苦しがっていると、ほら貝

を吹いたような音がどこからか聞こえてきた。

ボー、ボーという音を聞いて背筋がぞっとし

た。辺りは真っ暗である。もう十二時ごろだ

ろうか。辺りは静かで、道路を挟んで西、左

側のキャンプ場の先の森から聞こえてくるよ

うに思えた。僕たちがいるのは、東、右側の

キャンプ場である。なぜに、こんな真夜中に

深い森の奥からほら貝の音が……。

 獣が叫んでいるのだろうか。あるいは猿が

吹いているのだろうか。恐ろしくて音が鳴り

続けている間は、縮こまりテントの中から外

の気配をうかがっていた。猿たちがほら貝の

音とともに襲ってくることを予想したが、そ

んな事はなく、やがて音は止んだ。そしてや

っと眠れたのであった。

 翌朝、その音のことを皆に聞くと、皆も怖

くて震え上がっていたそうだ。そしてあの音

の正体について聞いた。するとあのほら貝み

たいな音は原住民のおじさんの竹笛のおとで

あったということだった。炊事場に行くと、

なるほど、二メートルはある太い竹笛がある。

それを僕たちじゃなく、他のキャンプ場の客

が、ここに住んでいるおじさんから借りて吹

いていたということだったのだ。いい迷惑で

ある。こっちは、どれだけ恐怖におののいた

ことか。

 さて、ここのキャンプ場とも、今日でさら

ばである。次のキャンプ場である屋久島青少

年村に向かうのだが、皆は、出かける支度を

しながらのんびりとしている。しかし、僕は

のんびりと皆と出かけることは出来ない。皆

の強靭な体力についていけないことが一日目

で判っていたからだ。皆と一緒にいくと、一

人だけ遅れて迷惑をかけるだろう。そう言う

訳で、僕は皆にこのことを告げ、皆より一時

間早く、八時に出ることにした。

 そうして、僕は一人で出発した。もう馴染

んできた一湊の町を抜け、海沿いの奥の山の

方に向かう。山の麓に着くと、道は、遥か

彼方まで上りだった。

「うわあ!」

 僕は一瞬、道を間違えたのかと思い、地図を舐める様に確か見た。しかし、屋久島青少年村へ続く道はこれしかない。誰もあまり旅行の計画をしっかりと立てていない事が、今後改めて思い知らされる事になるのである。しかし、逆にそういう行き当たりばったりの誰も縛らない所が、自転車部の合宿のいい所でもある。しょうがなく自転車を押して上ることにした。

「暑い……」

 汗がだらだら出て、もうすでに、2リットルのペットボトルを飲み干さんとしていた。汗っかきの僕の事だ、このままでは水が尽きてしまう。そうしたら、ここで倒れて干からびるか、時々通る車に拾ってもらうか二つに一つしかないではないか。後者の考えは、みっともないので、どうしても避けなければいけない。と、山道の中腹に民家の入り口らしい道があった。ここで、早めに水を補給しておくのが望ましい。僕はそう思い、入り口から中に入っていった。少し行くと水道があった。

「助かった!」

 水を汲もうとしたが、一応、了承を得ておこうと水道の向こうの小さな民家を覗き込む。「だれかいませんか~」

 と叫んでみたが、返答がない。

 しかたなく水を汲み、この民家に感謝して、再度出発した。やっと上り坂を抜けると、遥か彼方の方まで見渡せる所まで来た。

 遠くのほうに海水浴場らしきもの(永田周辺)がみえる。そこまで行って休もうと思い自転車をこぐ。2つ3つと坂を上り下りし、やっと永田付近に着いた。海水浴場(永田いなか浜)が目の前にあり、ウミガメの産卵場所という看板が目に付いた。近くにはウミガメ館という建物がある。そうである、ここ永田いなか浜は日本一のウミガメ産卵地として知られている有名な所なのである。800メートル程もある水が透き通った綺麗な永田いなか浜では、6~7月にアカウミガメやアオウミガメが産卵の為上陸してくるそうである。

 永田周辺には家も何件かあり、旅館、お食事処などがあり、活気があった。ひとまず僕は自転車を置き、海水浴場にでてみる。規模は小さいが、九十九里浜を思い出すような浜だ。誰もいない浜で、足元を見るとサンダルが落ちていた。

「拾って、拾って」

 と主人のいないサンダルが僕に囁いている感じがし、ちょうどサンダルが無く困っていたので、拾って行くことにした。もちろん今後サンダルが大活躍したのは言うまでも無い。

 これから、明るいうちに、どれくらいでつくかさっぱりわからない屋久島青少年村まで行かなければならない。地図で見てみると大体屋久島青少年村までは車で一時間半かかる距離である。その事から、みんなはその日のうちにつくと判断したのだろう。しかし車と人力では別物である。ましては上り下りのある山道で、しかも周りにはめったに民家すらないだろう道を行くことになるとは誰も予想していなかった。僕のほうは、時間もないので先を急ぐことにしチャリンコをこぐ。すぐに民家が無くなり、傍らに海を臨みながら、ひたすら丘を上り、坂を下る。うう……こう周りに何も無く、森とアスファルト道路ばかりが続くのでは、水が無くなったらどうするのだ……前もって地図を見ていた時、今回移動する屋久島の西半分は何も無く、やばそうな雰囲気はしていたが、自販機ぐらいはあるだろうと思い甘く見ていたのだ。しかし、行けども行けども、自販機は無く、何も無い道がずっと続いている。時折車が通る(一本道なので、民家のある遥か彼方の街から来ているのだろう)ので、自販機くらいあると思うが何も無い。そうして自転車をこいでいるうちに水が無くなってきた。ふと後ろをみると後から出発したみんながおいついて来ているではないか。挨拶をかわすも、僕はみんなのペースについていけず取り残されてしまった。

 そうして、登り、下りと、せまい道で自転車をこぎ続けていると、舗装されてはいるが、海も見えない山道に道は入っていく。あとでガイドブックを見て知ったのだが、この屋久島の西側(永田灯台入り口から今回移動する青少年旅行村がある栗生まで)は、携帯(ドコモ)の電波が使用不可能になっているのである。つまり、日本で一番電波塔を立てているドコモの携帯電波が届かない所という、険しい山岳地帯なのである。旅行の後で見たガイドブックには、西部林道と呼ばれるこの道は、国割岳の海側西斜面にあたり、急峻な断崖を形成し、立神の奇岩や岩盤が随所に見られる景勝地であり、この地域は国立公園、世界遺産登録地域に指定されていると載っている。どおりで人の手が入っていないわけである。

 その険しい山岳地帯の整備された山道を進んでいくと、やがて猿や鹿が回りに沢山いる道を通ることとなった。

「やあ、鹿君に猿君ではないか」

 ほのぼのとした光景のお出迎えを期待していたが、猿や鹿に近づいて行くと、妙な感じがした。周りを見渡すと殺気を帯びた猿や鹿に囲まれているではないか。みんな怒っていて、しかもじりじりと寄って来る。

「いかん、このままでは本当に囲まれてしまう。相手は二十~三十匹もいるぞ」

 僕は恐ろしくなり、猿と鹿の陣形に隙間があるうちに全速力で逃げ出した。後で聞いて分かったが、先にその道を通った部長はじめ一行が、猿と鹿を威嚇していたらしい……。

次に通る僕のことも考えてくれ。屋久島の鹿の事は前に述べたが、屋久島の猿については、これもまたニホンザルに比べ小型で、手足の体毛が長く粗いといった特徴があるらしい。複数の群れが互いに関係しながら生活するニホンザルの社会行動をよく残しているといわれ、調査されているようである。そういえばいくつかの群れになって僕にプレッシャーを与えていた……ニホンザルに比べ小型らしいが、相当のプレッシャーを猿から感じたのだった。

 その後、水が無くなり、どうしようもなくなったので、どこか川はないかと探したが、あっても険しくて川までたどりつけそうもない。その後、カラカラになって進んでいると、道沿いで水の音がする事に気づいた。自転車を降り道の脇の山に入ってみると、水が湧き出ている所があり、どうにか水分補給が出来た。そうこうしているうちに、最後の山と思われる登りをがんばって登ったら、下り道のはるか先に海に囲まれたキャンプ場がようやく見えてきた。屋久島青少年旅行村が見えたときの感動はひとしおだった。数多くの困難を切り抜けたのだ。道は急に広くなり、今までの一車線から二車線となり、バス乗り場もあるではないか。大きな橋もあり、滝もあるようで観光地であった。

 まもなく、海にせり出した所にある、屋久島青少年旅行村着いた。皆は管理場の入り口付近で待っていてくれた。

 このキャンプ場周辺は、栗生という地名で、飲み屋、コンビ二、自販機、郵便局、駐在所となんでも揃っていた。このキャンプ場から先はもう街なので、今後の移動は楽になる事であろう。屋久島青少年旅行村にはログハウスが九件あり、家族で宿泊出来るようになっている。しかし、僕たちにそんな資金はないので、入場料の四百円を払い、持ち込み無料のテント場にテントを張る事になるだろう。他に遊歩道、公園あずま屋などが整備されており、便利なキャンプ場である。

 早速、皆は管理連で入場料を払い、キャンプ場で各々がテントを張る。その後、町の中央の飲食店に行き、食事をとって乾杯をした。皆、日焼けをしていて、今日の移動を終えた喜びでいっぱいだった。そしてその日はキャンプ場で安眠がとれ、ゆっくり出来たのだった。

 安眠がとれたからか、あっという間に次の日となり、ひとまず観光名所である近くの滝(大川の滝)に行こうという事で、朝からその滝を目指した。

 大川の滝は屋久島で最大級の、落差八十メートルを誇る滝である。日本の滝百選にも選ばれているそうである。大川の滝へはバスでも行けるのだが、そんなに遠くはないので徒歩で行くことにした。屋久島青少年旅行村に向かう際にも通った、二車線の広い道を歩き、滝を目指していると、滝を源流とする川の上の橋にたどり着いた。橋は三十メートル程の長さで、橋から下の川までの距離はそれ以上あるかもしれない。橋の下の川はそのまま海につながっていて、浜辺は小さな海水浴場の様になっていたが、人の手は入っておらず綺麗だった。その後、一向は山側にある、滝に続く山道に入り、5分くらい進むと山道は開けた場所となり、滝に着いた。その場を見渡すと、なんと滝が遥か彼方の山の上から流れてくるではないか。まるでハワイの秘境の様な光景に唖然とした。都会では見ることの出来ない風景に見とれている僕たち一行の周りは、観光のおばちゃんと家族連れでいっぱいだった。

「滝つぼで泳ごうや」

 誰が言ったかわからないが、その一言が引き金となり、皆で三十畳程の滝つぼに入った。さすがに滝からの水が流れ落ちる周辺には近づかず、みんな安全な所で泳ぐ。水は冷たくて気持ち良かった。泳ぎ終えると、写真撮影もほどほどにし、一向はそのまま川沿いに海に向かう事にした。獣道を進んで行くと、やがて海が見えてきた。まるで類人猿が山をかき分け、初めて海にたどり着いた様な感覚に陥った。猿の惑星にこのシーンを盛り込みたいくらいだった。せっかく海に出たのだが、部長の八束君と後藤君は泳がず先に帰ると言って帰った。しかし、泳ぎたい僕達は海と川周辺で泳ぎだした。そうしているうちに、海に注ぎ込んでいる川の方が海の水より冷たくて気持ちいい事がわかり、皆は海ではなく川に飛び込んでいる。僕もまねて川で泳ぐ。特に川の流れが急な所を皆は気に入り、一緒に流れに乗って遊んだ。川でばかり泳ぐ訳にもいかず、僕はまた海にも入ったが、わかめが足に絡みつき、その日はあまり波も穏やかではなかったので、あまり沖から泳げず、なんだか怖くなり、また川で遊ぶことにした。一通り川で遊んだ後、イケマス君と僕は砂浜で書いたものを当てるというたわいも無い砂遊びをし、その後、皆と共にキャンプ場に戻った。

 キャンプ場に戻ると、テントを張っている場所で、八束君が自転車に乗り、ダニエルという技をしていた。僕はこの技が少ししか出来ないという事を以前お話ししたが、よく出来て六回くらいが限度である。この技の事を

詳しく述べると、自転車の前輪を浮かせた状態で、後輪でぴょんぴょん跳ねるという難しい技である。八束君は、何回飛び上がれるかということを競っているらしく、超人的な体力の持ち主である彼は、四十回を超えてもへばらずに飛び上がっていた。チャリ部のみんなは絶賛をしている。回りにいる家族連れも絶賛し、子供は喜んでいる。

 すごいなあ……。後に四年になり、同じゼミになってわかる事だが、八つんは勉強は苦手なのだが自転車の才能がとてもあるのである。選手になる道を勧めてみたら、この年ではなぁと諦めていた。自転車店で働けばと言ってみたら悩んでいる感じだったが大学卒業後、彼は自転車屋で働くことになるのである。

 八束ショーが終わったあと、それぞれ自由行動となり、僕は八束君に誘われ近くの栗生川に泳ぎに行くことになった。近くにいたイケマス君も誘い、大川の滝と反対方向の、町中にある川に着くと、少年たちが川で泳いで遊んでいる、どこでも良く見られる光景を目にすることが出来た。少年も泳いでいられる深さで、対岸まで二十五メートル程の川なので、さっそく、泳ごうと僕とイケマス君の二人は着替えをすまし、まだ着替えてない八束君をせかすと、彼は泳ぎたくないらしく、

「僕は見ている」

 という。自分から泳ごうと誘っておいて、見ているだけはないだろうと思ったが、本人から訳を聞いてみると、八束君は泳ぎが苦手でいままで泳ぐことから逃げてきたらしい。しかしこの機会にと、本人は、本当は泳ぎたい気持ちらしかった。いい機会だと、僕とイケマス君はまず自分たちが泳ぐのをみせ、川が安全だと証明してから、八束君を泳がせる事にした。水に慣れさせるのに時間がかかったが、熱心な指導のうち、そのうち泳ぐようになった。ぎこちない泳ぎ方である。みんな十分ほど泳いで慣れて来たので、僕は向こう岸まで泳いでみようという提案をした。映画かドラマによくありがちなパターンであるが、僕もその通りになってしまった。川の中程ほどまで試しに行ってみたが、足が着き流れもそんなに早くないから、いけるだろうと思ったのである。しかしこのことが、八束君にピンチを招くのである。

 まず僕が向こう岸まで泳いでみることになり、出発した。対岸までは二十五メートルくらいである。クロールで泳ぎながら途中で足がつくかみてみる。足が付くので大丈夫であろう。後ろを振り向くとなぜかみんなもう泳ぎをスタートさせついてきていた。僕は、最近あまり泳いでいないせいか、そのうち泳ぐのが苦しくなって来た頃合に、少し川の流れの速い所に差し掛かった。流されないようにもがくと苦しくなり、足をばたつかせるが足が付かない。

「結構深いぞ」

 そう思いつつも自分がここから抜け出るのに必死で皆に警告が出来なかった。無事その難関を切り抜けると、やっと対岸に差し掛かった。

「ふぅ~きつかった」

 続いて上がってくるイケマス君がそう言う。同感である。その後、やがてもがき苦しみ流されそうになりながらも、八束君もゴールした。荒療治である。みんな危なかったと口をそろえ言う。八束君はこれで苦手な泳ぎが克服でき泳ぐ事に興味がもてただろうか……。

しかし、それ以後彼から泳ぎに誘われる事はなかった。だがこの特訓のおかげで、八束君と僕の間には、熱い男同士の友情が芽生え、その後、八っつん、いっしーと呼び合う仲になるのである。

 川から帰る途中で、熱中症になって入院していた前田君が復活し、キャンプ場に向かっている所にでくわした。元気になって良かったと話をする。キャンプ場に戻ると、自由時間にどこかにいっていた別働隊は、山の中にある滝をみにいっていたという。昨日行った大川の滝とは違うらしい。ガイドブックにすら載っていない穴場ではないか。

 今回は訪れなかったが、他に栗生には、栗生川より先にある、中間川の袂にある島最大のガジュマルである中間ガジュマル、様々な石楠花が見られ、照葉樹林が美しい石楠花の森公園、海草やサンゴ、熱帯の魚が見られる塚崎タイドプール(タイドプールとは、海の塩が引いて海面が下がった時に出来る、岩のくぼみや割れ目の海水だまりのこと)、パパイヤ、マンゴー、グアバなど1600種類の果実や植物が生い茂る屋久島フルーツガーデンなど、見所が沢山ある。

 夕方になり、バーベキューをしようという事で管理場から道具を借り、近くのコンビ二の様なスーパーに買出しに行った。適当に肉を買いキャンプ場に戻る。バーベキューをするにはまず炭火を熱するのだが、炭火を熱するのをみんなは慣れておらず苦戦している。直接炭火に火をつけようとしているのだ。これではいかん。僕は枯れ木や新聞紙を持ってきてそれに火をつけてから炭火を暖めて炭火を燃やした。その後、炭火は安定して熱を保つようになった。この場面でも僕がいなかっ

たら、バーベキューは出来なかっただろう……。

 やがて肉が焼け皆で肉を食う。風向きが向かいのテントの方に流れていて、向かいの旅行客がけむたいかもしれないがやむをえん、早く食べよう。皆で肉をつつき、やがて肉もなくなり食事の時間が終わると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 一人キャンプ場の海辺に出てみる。星の砂などがあり、非常に綺麗な砂浜なのだ。暗いながらも、東シナ海の遥か向こうには、何やら異国の島のような列島が見え、星もでていて幻想的だった。しばらくして皆がいるところに戻ろうとすると、海近くの駐車場でカップルと懐中電灯をもったおじさんがいて、何やら話している。聞き耳をたてると、今からウミガメの産卵を見に行くそうだ。

「これは皆を呼ばなければいかん」

 僕はすぐさまみんなのいる所に戻り、皆をひきいて駐車場に戻る。駐車場ではちょうどウミガメ産卵ツアーを出発するところだった。僕たちはついていく事にした。無料のツアーなのか、客は1組のカップルと僕たちしかいないが、ぞろぞろついてくる僕達を見て、おじさんは案内してくれた。電気をつけないようにということで、案内のおじさんの懐中電灯のみで進む。やがて草むらを抜けると、開けた浜に出た。もう海亀が1匹砂浜にいる。おじさんの話によると、ここに海海亀はよく産卵をしにくるらしく、今日は1匹だけだけれども、多いときはもっと沢山来るという話を聞いた。産卵の準備のため、亀さんは後ろ足で砂をかきわけ穴を掘っている。僕たちは亀さんの周りに集まり見学をする。ひととおり穴が掘り終えると、亀さんは卵を生み出した。痛いのか涙を流しながら産卵をしている。横でおじさんがペラペラとガイドをしている。やがて卵を5つほど産み終えると、亀さんは後ろ足で卵を埋め始めた。卵が埋まると、おじさんは突拍子の無いことを言い始めた。亀さんを引っ繰り返してみろというのである。引っ繰り返し何か解説することがあるのだろうか……カップルにやらせるわけにいかず、僕はやむをえず亀さんを引っ繰り返そうとしたが、大人の僕の力でも、亀さんはとても重く返せなかった。引っ繰り返すのは悪いと思い、辞めたら、おじさんは足で亀さんを蹴って返そうとしていた。なにやらこのガイドはインチキくさいなあと皆が思っていた事だろう。結局亀さんを引っ繰り返すことはできず、亀さんは海に帰っていった。いいものを見たねと皆満足したようである。テントに帰り、次の日は移動日であるから、今日はもう皆眠ることにした。

 さて、今日からは街中を移動し、フェリー乗り場まで戻る日程である。あと1泊か2泊でこの旅も終了になるのである。

 お世話になった屋久島青少年旅行村、楽しい思いでのつまった栗生の町を後にし、一向は次の目的地、屋久杉ランドに向かう。

 途中に尾の間という町を通った。ここには立ち寄らなかったが、ここの近くには、日本では珍しい直接生みに落ちるトローキの滝、滝の落差が六十メートルもある千尋の滝がある。他には、区民の力で新装した小杉造りの本格温泉である尾の間温泉があるそうだ。

 次に安房という町に来た。ここはイケマス君が昔住んでいた町だそうだ。川沿いに家が密集している、けっこう大きな町だった。近くには屋久杉のすべてを知ることが出来る屋久杉自然館、屋久島の自然の奥の深さを五感で体感できる世界遺産センターがあるそうだ。

 さて、その安房の県道沿いの屋久杉ランドへ続く道へ一向は辿り着いた。屋久杉ランドは、屋久島で屋久杉が沢山見る事の出来る公園である。一行はそこで屋久杉を見ようというのだ。しかし、この屋久杉ランドが山の頂上付近にある様なので、自転車で行くにはしんどいのである。体力的にもばてていた僕たちは、自転車をバスに乗せ、行きのみ屋久杉ランドまでバスで行くことにした。ちょうど近くにバス停があった。さて、バス停へ移動だ……しかし部長の八っつんだけは、バス代を浮かしたいのか、自転車での移動にこだわっているのか、行きも帰りも自転車で屋久杉ランドまで行くといって、山道へ行ってしまった。すごいなあと皆関心している。他の面々はバス停でバスを待つ事にした。まもなくバスが到着し、皆自転車を入れ、座席に座る。そしてバスは出発し、屋久杉ランドまで坂道を登る。山の中腹まで来た所で、八っつんが、がんばって登り道を漕いでいるのが見えた。皆がんばれとバスから声援を贈る。その後、バスは八っつんを追い越し、八っつんは見えなくなった。皆すごい体力だなあと感心する。

 屋久杉ランドは地上から三百メートルの所にあるだろうか。八っつんの体力はすごいのである。まもなく、二十分分程でバスは屋久杉ランドに着き、しばらくして八つんも屋久杉ランドに着いた。

 その後、屋久杉ランドの見学をしたのだが、入場口で八っつんが大学生でありながら、高校生に間違われた。時々あるエピソードだが、八っつんを見て、若く見られるのいはいいなと僕は思うのである。

 屋久杉ランドには大小様々な屋久杉が生えていて、ジャングルそのものだった。見上げる程、高い木が多くあり、森の中で木を見上げて首が痛くなるという事を久しぶりに体験した。僕たちの他にも観光客が何組かコースを回っていた。外人さんや親子連れなど様々だ。

 一行は狭いながらも、手すり等が整備された山道を歩いていくと、まもなく大きな屋久杉の根元が分かれている所に来た。

 せっかくだから、みんなでその分かれ目に入り記念撮影をする。記念撮影をした後、山道をしばらく行くと、広い岩場に出た。岩場の奥にある小川に水が流れていて、涼しい。しばらく僕たちはそこで涼んだ後、その先にあるつり橋を渡り、屋久杉ランドのコースめぐりを終了した。

 屋久杉ランドの帰りは、皆で自転車に乗り山を下る。海まで見渡せる雄大な景色が眼下に広がり、気持ちよかった。自転車に乗った僕たちはすごいスピードで坂道を下っていく。この段階では気づかなかったのだが、この下り坂から、八っつんが一人だけかなり先に先行して移動してしまっているのである。この事が、後に問題を引き起こすのである。

 その後、山を下り終えると、今夜宿泊する所を探し、旅の最終目的地である宮之浦方面へ移動する。道の両脇に民家がある所での移動だったのだが、なぜかこの時から集団がばらけてきてしまい、しばらくして僕とイケマス君と片さんの三人だけになってしまった。しばらくして三人は立ち止まり、トイレに行ったりして遅れた他のメンバーを待つ事にした。また、今日泊まる場所は、安房を過ぎた船行という地名のこの近辺にしようという事に決まった。

 その間、移動する際に一人だけ大幅に遅れていた前田君が自転車をおして道端を歩いている時に、二十台後半と思える女性が声をかけてきたらしい。へんぴな所を歩いていたから、女性は少しだけ車に乗せてあげようと思い声をかけてきたのだろう。その後、先をいっていた僕達をお姉さんは見つけ、前田君を降ろし、前田君は一団と合流した。しかし、この時僕はメンバーが一人いないことに気づいた。八束部長がいなくなっているではないか。大変だと皆で話し合った。携帯電話もつながらず、かなり先にいってしまっているのではなかろうか。

 今日泊まる場所はこの近辺という事も一人離れている八っつんには分からないだろう。また体力が無限大にある彼のことだから、どこまでも自転車を漕いで行ってしまうだろう。

 これはいかんと僕たちでざわついていると、お姉さんがどうしたのと僕に声をかけてきた。僕は一部始終をお姉さんに話すと、お姉さんは探してくるよと言って、案内人に何名か連れていくことになった。今思えばお姉さんに一部始終を話した事でお姉さんに迷惑をかけてしまった様な気がする……自分たちでなんとかできたのではないだろうかとも思うが、今後悔してもしょうがない。

 伊藤君とイケマス君が案内人になり、お姉さんの軽自動車で探索に出発し、一時間位したら戻ってきた。イケマス君に話を聞くと、隣の小瀬田辺りまで行ってきたらしい。隣町に住んでいる、お姉さんの彼氏と思われる人が、八束部長と自転車を車に乗せ連れ戻してくれた。八束部長は、はぐれたのかもう帰ろうとしたのかは不明である。帰りたさそうな感じは見せていたが……。お姉さんには迷惑をかけてしまった。御礼に近くの駄菓子屋でお菓子を沢山買い、お姉さんに渡そうとしたが、お姉さんは受け取ろうとせず、去っていった。そんなわけで、八っつんが無事に戻ってきた。さて、本日泊まる所だが、近くにキャンプ場も民宿も無い様なので、海岸の開けた所に泊まろうという事になった。大体こういう場合物事を決めるのは、副部長の片さんである。そして、今いる船行近辺の捜索が始まった……というか、しばらく進むと海岸に行ける道があり、枕状溶岩という看板から観光名所の様なので、そこに行くことになった。もう大分日も暮れている。早く泊まる所を探さないといけない。細い道を下っていく。県道から海辺の森を超え大分下ると、海岸に着いた。足場は岩がごろごろしており、そのまま五十メートル先の海へ続いている。そこにいた人は、観光客の一組の老夫婦がいたくらいだ。その老夫婦は僕たちにキャンプに来ているのかという旨の質問をなげかけ、僕たちもその質問に答えると去っていった。この場所の説明になるのだが、海を正面にして、左手方面には二十メートルくらいの大きな岩。これが枕状溶岩というものだろうか。その岩と森の間にはどこかに続く道があったが、今日はもう暗いので明日にでも行ってみようと思った。右手方面は川原の様になっていて、木が生い茂る山から川が流れ落ち海辺へと続いている。川の上流を見ると山から流れ落ち森を抜けてこの岩場まで来ている事が良く分かった。人の手の入った痕跡はまったくと言っていいほど無い。辺りが把握できた所で、テントを張る事になった。山道を降りた所にある少し広い所から、五十メートル先の海までは岩場なのだが、何やら十メートル先には水がここまで来たような形跡がある。皆はそのぎりぎりの場所にテントを張りだしていた。下が細かい砂利でいごこちが良かったのだろう。しかし僕は危険だと思い、

「そこにテントを張ると、波にもってかれるぞ」

 と忠告をした。その忠告を皆は聞き入れ、僕たちは山道から降りた所からすぐの、寝心地の悪そうな道にテントを張ることになった。予想通り、拳ほどの石がごろごろあった事から、背中に石があたり寝心地が悪かったのは言うまでもない。しかし、なぜ僕が神経質に忠告をしたのかというと、実は台風が近づいているからでもあった。

 結局、うねりをあげた波は五十メートル先の岩場にぶつかって砕けており、僕たちの近くまでは来なかった。しかし、夜中ずっと遠くに聞こえる岩にぶつかる波音に脅えなければならず、背中の石も痛いし居心地が悪かったのは言うまでも無い。だが、なんとかその日は無事そこに泊まる事が出来た。

 次の日、寝心地が悪かったのか、皆うす暗いうちから起きていた。皆早起きである。昨日気になっていた、岩と森の間にあるどこかに続く道の探索に、さっそく皆で出かけた。岩と森の間を抜けると、そこは海水浴が出来るほどの広いビーチが広がっていた。さっそく僕たちはそこで泳ぐ事にした。こんな広いビーチを独り占め出来るなんて幸せではないか。

 午前中そこで泳いで遊んだ一行は、午後はフェリー乗り場までの道のりを帰る事になった。

 移動の途中に、島で一番大きいであろう新しく巨大な病院が見える。ここに前田君は入院していたのかと感心した。昼食は、道端のタバコ屋でソーセージときゅうりを買って食べた。田舎のタバコ屋は食料品から雑貨までなんでも売っているのである。このきゅうりは自家製という事で、タバコ屋おばちゃんが薦めてくれたのだが、普通のきゅうりより巨大で薄味であった。うりのような感じがした。

 その後、また移動して、夕方前にはフェリー乗り場の目の前に着いた。前田君と八っつんと片上君、後藤君はここでそのままフェリーに乗って先に帰ると言う事で、お別れになった。

 残った僕と伊藤君、イケマス君はのんびり帰ろうという事で、フェリー乗り場のすぐ側のオーシャンビューキャンプ場に泊まる。しかし、この事がとある騒動につながるとは、そのときは予想も出来なかった。我が身にあんな恐ろしい出来事が降り注ぐとは……今思い出しても、身の毛もよだつ思いだ。

 まだ三時頃なので、キャンプ場沿いの海辺をイケマス君と探索する事にした。岩がごろごろとした海辺で、二階建て程もある大きな岩があり、僕とイケマス君はその岩に近づいて行った。すると、僕たちとは反対側から少年が出てきて、少年は岩場のてっぺんに登り、てっぺんの窪みで何やらごそごそした後、岩を降りて帰って行った。僕たちからみて、岩の反対側なので、少年は僕たちには気づいてなかっただろう。高校生くらいの普通の少年であった。僕たちは少年が岩場のてっぺんで何をしていたのか気になり、岩のてっぺんまで登ることにした。登りやすい岩で、するすると登れる。岩の上まで上りきると、てっぺんの岩場に小さな窪みがあり、そこに本が何冊か……置いてあるというか隠してあるのだろう。セクシーな雑誌ばかりである。ここは少年の秘密の場所なのだろう。僕とイケマス君は、好奇心を駆り立てられたが、少年の聖域を汚してしまった気分になり。雑誌を見たい気分を抑え、そこを後にした。

 その後、イケマス君と宮之浦の街を探索する事にした。宮之浦は、鹿児島と種子島、口永良諸島を行き来しているフェリー乗り場があり、鹿児島、屋久島間は最短で二時間少々で通えるのである。近くには屋久島環境文化センターがあり屋久島をまるごと学べるようになっている。宿泊施設から食堂、レンタカー屋さん、お土産屋、ガソリンスタンド、スーパー、コンビ二と何でも揃っている。中央に宮之浦川という大きな川が流れていて、大きな橋から小さな橋まで橋が三本渡されている。僕たちはキャンプ場から町方面に自転車で移動すると、順に、宮之浦小学校、中学校があり、ゲーム屋があった。このゲーム屋は、学校帰りに訪れられるいい場所に建っている。ゲーム屋を過ぎると、大きな橋に出た。ちょうちんが沢山付いている。どうやら夏祭りの時期らしい。その橋を渡ると本屋があり、ひとまず本屋に立ち寄る事にした。難しい本は置いていないが、雑誌はなんでも揃っていた。本屋を後にした僕たちは、近くの商店街を通って、フェリー乗り場の近くまで行く、ちょうどお土産屋があったので、そこで土産をたんまりと買ってしまった。その後川沿いの道を通って帰ろうという事で、川沿いに出る。すると、ワゴン車のサンルーフから女の子と少年が飛び出ている車が、僕たちの目の前を通った。姉妹と思われる二人は僕たちに手を振っていたので、僕たちも手を振って答えた。ほのぼのとする光景である。まもなく三本目の一番奥の橋に来たので、橋を渡りキャンプ場に帰る事にした。すると橋の向こうからまたさっきのワゴン車がこっちに向かってくるではないか。また通り過ぎる際に姉妹が手を振っているので、こちらも手を振って答えた。子供時代は誰にでも手を振るものだったと自分の少年時代を思い出す。夕飯を買い、キャンプ場に戻り、僕たち三人は食事を摂った。今回は質素に、バーベキューではなく、普通のお弁当である。その後、暗くなり、花火をしようという話だったが、皆買い忘れたのか誰も入手出来なかったのか、花火は用意できず、その話はお流れになった。

 さて、おなかいっぱいになり辺りは暗いので、テントに入り寝ることにした。皆ももう寝るようだ。ここは町の中のキャンプ場で、隣は港である。もうおっぱい山のキャンプ場で身震いして寝られなかった、あのおそろしい原因不明の物音もないだろうし、鹿に串刺しにされる事も無い。台風の影響での岩にぶつかり弾ける高波の音に怯え、拳大の石で背中が痛くて寝不足になることも無いだろう。僕は寝心地のいいふわふわした枯れ草の上にテントを張っているのだ。ただキャンプ場に隣接した山の奥を覗きこむと、無限に森が続いている気がして、人知には及ばない生き物が潜んでいるような気分になった。まあこのキャンプ場には僕たちの他にも二、三人の人達がテントを張っている。さすがにキャンプ場に隣接する山の麓は怖いから二メートル位は離れてある(このキャンプ場はそんなに広くないので、そのくらいしか離れられなかった)というか今思えばキャンプ場の海沿いの方にテントを張る事も出来たのだが……そうこう思いを張り巡らしているうちに、眠ってしまったらしい。夢もなにも見ずに僕はぐっすりと眠っていた。あるのは静寂のみである。

 しかし、一変して夢は悪夢になる……何者かが山の方から僕のテントめがけてすごい勢いで突進してくる様な感じがするのである。重いながらもすばやい足音、これは人間ではない……

「いかん! やられる!」

 寝苦しくなっていた深い眠りから僕は目覚め、悪夢の中でミノタウロスの様な魔物が突進してくる様に思っていた突進音が現実のものであると知り、断末魔の叫び声をあげた。「うわーー、う、うわーーーー」

 このままでは魔物に何をされるか分からない……というか角で串刺しになってしまう。あまりに突然の事と恐怖心のあまり、僕は硬直してしまった。口だけ動いたので、叫び声を出すことだけはかろうじて出来たのだ。深夜、キャンプ場中、いや湾中に僕の声が響き渡ったである。今までの人生で僕はこんなに大きな声で、断末魔の叫び声をあげたことは無かった。

 まもなく、そいつは僕の叫び声に驚いたのか山に戻って行った。重い足音ながらそいつは軽快に近づき去って行った。僕の叫び声を聞いた人は、あまりの阿鼻叫喚に人が一人殺されたのではないかと思った事だろう。

 テントの中にまでそいつは入ってこなかった。テントをかすめていったのである。すぐには恐ろしくてテントから出ることが出来ずに硬直していた。しばらくして、テントから顔を出し辺りを確認した。そして安全になった事を確認した所で、力が抜け、僕は再び眠りについた。

 日が出てから自分のテント周辺を調べてみた所、猿の仕業ではないのかという事が分かった。猿が突進した先に、ポテトチップの袋が切り裂かれて残っていたのだ。僕が寝静まるのを待ち、あるいはいいにおいのする、ポテトチップの袋めがけて猿が突進したという事であろう。ポテトチップの袋をテントの外に置いていた事が一番の原因という事がわかった。屋久島で数々の恐怖? を体験してきたが、これはひとしおであった。自分の気の小ささを再確認したのである。ああ、早くびびり屋から卒業したい。

 皆は昨晩何が起きたのかわからなかったらしく、あのすごい悲鳴はなんだったのだろうかという顔をしていた。イケマス君と伊藤君には理由を話したが、近くにテントを張っていた旅行客が、朝食を食べている所の前を通る時は気まずかった。

 さて……後はテントをたたみ、フェリーと電車を使っての移動で帰宅である。帰りのフェリーには行きと同じく小中学生が沢山いて賑やかだった。フェリーではアイコの歌が繰り返し永遠と流れていて、同じ曲ばかりなのでだんだんと酔って来て気持ちが悪くなってしまった。皆に聞いたら、皆も同じ事を言っていた。しかし、これから先は何事も無く、自分の家まで安全に帰宅する事が出来た。僕たちは一夏の思い出を残し、屋久島を去ったのである。

 ここで、最後に、屋久島の見所について述べる事にする。

 やはり屋久島といったら、樹齢が千年を超える樹木、屋久杉を沢山見たかったが、今回の旅行は登山がメインではないので、あまりお目にする事は出来なかった。ここで屋久杉について少し紹介をしておこうと思う。屋久杉を見るためには登山をしなくてはいけないが、その登山の入り口は宮之浦と安房にある。日帰りから一泊二日で登山をして、元の場所に戻る事が出来るとの事だ。今回は、日帰りで行ける、安房からの登山の見所を簡単に紹介しようと思う。安房から車で五十分かけて荒川登山口まで行った後、大正十二年頃から昭和四十五年頃まで使われていたトロッコ道を通り、屋久島で一番背の高い杉と言われている、三代に渡って倒木更新をした、根元から頂上まで約三十八メートルもある三代杉がまず見られる。その後、畳十枚程の空洞があり、中から空を眺める事が出来るウィルソン株という切り株があり、二つの杉が完全に癒着している夫婦杉が見られる。最後に、屋久杉の中でも最大の杉である縄文杉が見られる。しかし、登山の際には、空港や観光案内所に置いてある登山届けに必要事項を記入して提出し、装備をきちんと持ち、準備運動をし、休憩をとりつつ登山を行ってもらいたい。又、屋久島では、季節ごとに咲く花々、紅葉など魅力がいっぱいである。

 学生時代の旅行は、貧乏旅行だがいいものである。お金がある社会人になってからでは、味わえないささやかな喜びが沢山あると思う。ぜひ、皆さんも学生時代の貴重な時間に旅行に行き、楽しい思い出を沢山作って頂きたいと思うのである。

inserted by FC2 system